2ch、5chでまとめた岩波英知先生のプログラムに効果なしの人17例を紹介
岩波英知先生のプログラムに向かないのはどんな人?
岩波英知先生がやっている心理脳内プログラムは、他のどの手法よりも効果があると思います。
個人差がありますし、すべての人が、岩波先生の口コミで書かれているような感じで、同じ効果が出るわけではありません。
常識を超越した技術であり、さらにすごいのは常識を遥かに超越した体験です。
この体験が脳を大きく揺り動かし、メンタルブロックを解消し、感情と感覚の研ぎ澄まされていき、超越した効果を実感できるようになります。
すごい、すごすぎる、やばい、やばすぎると言われる岩波英知先生の技術は、その意味が体験して、何度も通うことでわかるようになります。
しかし、最初からスムーズにいかない人だっています。
各個人の事情があり、自分や過去との向き合い方、積極性、体の硬さ、理解度によって、効果は変わってくると思います(いずれは体感が深まっていきますが)。
あと重要なことは『自分がどうなりたいのか』という目的意識が高い人のほうが効果が早く出るでしょう。
例えば、岩波英知の言葉・知恵袋集にも書いてありますが、『普通になりたい、悩んでいることをゼロにしたい』という人と、「ビジネスをやって成功してやる、悩んで失ってきたものを10倍返しで取り戻してやる」といった人では、先生がもたらすトランス状態の効果が違ってきます。
なぜならば、その人の意識の高さ、低さによって、トランス状態で得られる気づきや発見がまるっきり違ってくるからです。
とにかく鍵はトランス状態に深く入ること、それに尽きます。
これはすごい、これはやばい! と自分で思えたら、一つ壁を超えたと思ってください。
そこからさらにトランス状態の質が変わっていきます。
とことんまで深く入れば、自分のやりたいこと、高い目的意識も出てきます。
しかし、それまでは個人差がどうしても出るでしょう。
人それぞれ違うのだから、他の参加者と比較するのは良くないと思います。
あくまで自分の中での、過去の自分の体感から同変化しているかだけを見ればいいと思います。
どんな人でもトランス状態に深く入れば、他のメソッドよりも別格の効果を感じられるようになります。
言ったように目的意識の高低によって個人差も出るし、家での訓練の努力の差でも効果が大きく変わってきます。
それはきちんと知っておいたほうが良さそうです。
では
岩波先生のプログラムに向かないと思われる人を挙げていきます。
これらの気持ちや状況で無理にプログラムを受けても効果が出ない(おそらく焦りと不安と緊張に自分が負ける人)と思います。
- まったく精神的な問題もなく、悩みもなく、現状維持でいいと思っている、そして潜在意識や心のことにまったく興味がない場合
- 異常なぐらい自分の心身の変化に怯えてしまう場合
- 寝たきり状態になり、もはや元気になりたい意欲も出てこない場合
- カウンセリング手法で問題が解決できると思っている場合
- 自己の改善や成長に対し取り組む意欲がまったくない場合
- 不平不満しか言わない人、すべて他者責任にしてしまう人
- 岩波先生の指示に従わない人
- 猜疑心の塊
- 日々の生活費にも困窮している場合
- 主体性がない人、自らの意思で受けるわけではない人
- 精神病(幻覚、幻聴がひどい人)
- 他力本願の人
- 回数分を通い続ける体力がない人
- 男性恐怖症(岩波先生が男だから)
- 人格障害
- 細かすぎる人
- 被害意識が強い人
こんなところでしょうか。
みんな多かれ少なかれそういうところはあります。
ただ度を過ぎた状態という意味で書いてみました。
岩波英知先生の施術が効果なしで終わるのか、高い効果を感じられるのかの差とは?
私もノミの心臓で、すぐ緊張して不安を感じやすい状態だったので、もしかしたら岩波先生の施術には最初は向いていなかったのかもしれません。
しかし、自分の内面としっかり向かい合おう、それを乗り越え克服して、強い自分になってやろうという強い意志だけは持っていたと思う。
だから、そういう意味では先生の施術から効果を得られる基本的な要素は持っていたと思います。
岩波先生のプログラムは非常に特殊です。
普通ではないし、一般的ではないし、群を抜いている技術を提供しています。
それだけ料金も高額設定であり、一括前払いということも心配と不安を感じる要素です。
とにかく料金が前払い一括という非常に受ける側に負担がかかるシステムなので、無駄な憶測も出ますが、世界で一つだけの技術ですので強気なのも、受けてみて頷けるところです。
もうちょっと受けやすくしてほしいと受ける前は考えてたけれど、受けてからは勇気を出して受けてよかったという結論です。
岩波先生の施術の注意点は他にもあります。
それは心と体と脳にとんでもない体感変化が起きることです。
極度に体感が変わり、著しく感覚が遷移します。
そのため、心の準備がない人や潜在意識や脳の世界について無知な人、被害意識が強い人、体調変化が怖い人にはおすすめしません。
また岩波先生との相性として、細かすぎる人はプログラムは受けないほうがいいと思います。
岩波先生ととにかく話をしたい、そして依存したい(話すとホッとするからわかるが)人も、先生は時間的に向き合えず、そっけない態度をとられるかもしれません。
個人セッションは有名人や芸能人や経営者で埋まっているそうで、実質集団セッションしかないので、細かい人や依存したい人は先生のプログラムには合わないでしょう。
あとは自分の内面を覗きたくない人は向いていないでしょう。
とんでもない内面の深淵にアクセスできてしまうため、それは岩波先生がその次元を調節できる技術はあるとは言え、覗きたくない人にとっては嫌な思いをします。
それを乗り越えると清々しい景色が見られるのだけれど、それまでは四苦八苦するかもしれません。
やはり個人差やその人の性質によって、効果が出るのか好転反応が続くかやってみないとわからないけれど、最初の私が持っていた意志がそこで必要です。
自分の内面を乗り越えてやるという気概を持った方がいいし、それがない人は岩波先生の施術にはついていけないでしょう。
最後に被害意識の強い人は絶対に受けないほうがいいと言っておきます。
岩波先生の誘導技術には一番向いていないと思います。
やばい体験となりますし(これは褒め言葉で言う人が多い)、やばい体験だからこそ、逆に被害意識の強い人は悪い意味でのやばいと感じるかもしれないから。
被害意識の強い人でも、トランス状態にズドンと入れられてしまうので、一層受けないほうがいいと思います。
2ch、5chからまとめた岩波英知先生のプログラムに効果なしの人17例でした
最後に実際に岩波先生のプログラムを受けた人のありがたい口コミ体験談のリンクをいくつか紹介して終わります。
脳覚醒セッションの驚異的な効果と体感のすごさを解説(岩波英知脳覚醒プログラム口コミ体験談)
鬼才岩波英知さんがもたらす脳覚醒トランスとは? 潜在意識へアクセスできる最強の方法!?
極度の緊張症には必ず原因がある。大小のトラウマ原因を治すことが克服できる唯一の方法
極度に緊張してしまう人(次も極度の緊張状態に陥る人)、少し緊張しながらもなんとかこなせる人、自由に自然に自分を発揮できる人、人前に立つことが楽しみで快感な人が世の中には存在します。
その差はどこから来るのか? なぜ極度の緊張症になったり、ノミの心臓になってしまったかをちゃんと把握しなければ、今後もわけのわからないまま極度の緊張状態に振り回されることになるでしょう。
ものごとには必ず原因がある。
なぜ? どうして? これを知ること、そしてその現実を受け入れることが極度の緊張性を克服できる鍵になります。
これらは私が極度の緊張症のルーツを分析して書いたものです。
幼い頃から人前が苦手な人もいるでしょうが、それは親の性格を受け継いでいたり、友達からバカにされたり笑われた経験があったり(物心がついていない為覚えていないが)、親から『失敗はするな』『人に笑われるな』『何でも完璧にやれ』『人からよく思われなければならない』という精神的にがんじがらめにされる教育を受けてきたなど、そのルーツが必ずあるはず。
それらがベースとなって、小学校の時の発表や本読みの時、音楽の授業で人前で歌を歌ったり、リコーダーを吹いたりしたときに、失敗した、恥をかいた、クラスメートからバカにされた、などのトラウマが、次の失敗を恐れさせ、さらにうまくいかない経験値を経て、極度の緊張症になっていったという人もいるでしょう。
学校の担任から人前でひどい一言を言われたり、人格を傷つけられる経験がある人も、緊張しやすいトラウマを抱えたり、とかならず極度の緊張症には原因があります。
それがトラウマとして深層心理に刻み込まれてしまっているから、同じような状況があると、それを考えるだけで予期不安で心が押しつぶされてしまうわけです。
このトラウマは深層心理や潜在意識にあるから、強い意志の力であっても克服不可能です。
逆にすべての努力が仇となる恐れがあります。
頑張れが報われる問題ではなくなるのが一番の辛いポイントでもあります。
だからこそ、トラウマを潜在意識や深層心理から一掃する必要があるし、それをしないと一生人前で何かをすることに対して、極度の恐怖心を持ち続け、逃げ続けなければならなくなります。
社会人である以上は、逃げ続けることは難しく、そうであるならばトラウマを解決する道を模索してみてください。
私が克服できたのはトラウマへの恐怖心をなくすことができたからです。
まあ、いっか、と軽く思えるようになったからこそ、人前でなにかしてもノミの心臓が発動しなくなり、毛が生えてくらいになっていったわけです。
トラウマは一生の傷であり、どんなにごまかしても消すことはできないもの。
抗不安剤でも消せない深くえぐられた傷です。
トラウマがある限り(トラウマじゃなくても緊張するルーツがある限り)、克服は一生難しいものだと経験で思います。
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ノミの心臓の治し方 こうして私はノミの心臓に毛が生え極度の緊張症を克服していった
ノミの心臓、小心者、緊張してキョドっている男と言われることが何にも増して嫌だった私だが、実際にそのとおりだった。
しかしながら、それを会社の人間にだけは絶対に知られてはならない、そんなレッテルを貼られたら人生がおしまいだとまで思っていた。
ノミの心臓な私が、会議やスピーチなどの人前で発言する行為で、ノミの心臓をばれないようにすることだけが人生の目的みたいなものになっていた。
この状況が本当に情けなく、何のために生きているのか、仕事をしているのか、いつまでこんな苦しみが続くのか考えるだけでも憂鬱でたまらなくなっていた。
あがり症克服プログラムを受けて、私は大きな心境の変化が生まれた。
トランス状態の余韻後のとても心地よい状態(非常にダイナミックな心が安らいでいるありえない意識の状態だった)で、たくさんの気づきが到来した。
努力とか頑張って気づけたわけでなく、ぱっと生まれたように気づいたものばかりだった。
その中の気づきの中に、「ノミの心臓だからってなんなのだ、ノミの心臓でも生きる権利がある、仕事をする権利がある、何を守っているんだ、人生は一度しかないんだ、ノミの心臓のどこが悪い」と開き直ることがあった。
一見、ヤケになっているようで、実は自分の弱さや現状を受け入れる強さも持っていた。
不思議ととても心地よい感覚になっていた。
その時は怖いものがなかったし、やってやろうという気持ちが芽生えていた。
自分の弱点を受け入れた人間はとても強いとよく聞くけれど、本当にそのとおりだと思う。
開き直った時点で、開き直っていない人間に対して大きな強さがある。
それがノミの心臓、小心者、極度の緊張しいだという弱点への開き直りだったとしても、弱さをも受け入れられる強さは、何よりも強い。
極度の緊張症で苦しんできてからはじめて大きな強さを自分の中に感じた。
これがずっと私が求めていたものだったが、まさか弱さを受け入れることで強さを獲得できるなんて、本当に盲点だった。
これは岩波英知先生の思想がそうだったからなのと、岩波先生の誘導するトランスがもたらす絶大な効果が現れたんだと思う。
強さは弱さを受け入れることから始まる。
これはどんな悩みでも当てはまることだと思います。
岩波英知先生の言葉・講演集 あがり症、極度の緊張症について多く話されています
心の奥から悩みが解消していく気づきが生まれていくトランス状態が確実に味わえます
socialanxietydisorder.hatenablog.com
極度の緊張症克服には自分の悩むまでのルーツを知ることが大事
私のブログに書いてきたように、なぜ自分だけが人と違って極度の緊張症、あがり症、社会不安障害と言われる症状に苦しんでいるのかのルーツ分析をすることが大事だ。
必ずきっかけがあるはずだし、ここまで悩むのも他の人には経験してこなかったルーツがあるはず。
誰だって緊張はするが、極度の緊張状態に陥る人はいない。
頭が真っ白になったり、異常な発汗なんてことは、ガクガクぎょっとするほど震えたりなんてことは他の人にはありえない。
自分をよく見せたい、笑われたくないという気持ちが強くなってしまったのはなぜか?
そのプライドの高さはどこかで培われたものか?
なぜ失敗を許せないのか、なぜ自分を追い込んでしまうのか?
必ずルーツがあるはずだ。
私は岩波英知先生のあがり症克服プログラムの中で、ルーツ分析整理作業を、トランスの深い深い、そして長い余韻の中でやった(家でもやった。しかし一人の時落ち込む恐れがあるからやらないほうがいいらしい)。
その時に多くのことが気づいた。
あがって当たり前、極度の緊張状態担っても当たり前だと気づけた時、本当に楽になった。
スーッと重荷が落ちていった。
問題は解決していないはずなのに、心が楽になっていったのだ。
ルーツ分析の威力が発揮された瞬間だったと思う。
なぜ自分だけがこんな目に合うのかわけも分からずうろたえるだけでは、決して解決できない。
脳が混乱していく一方で、そんな脳に冷静さを取り戻させることはできない。
脳が冷静さを発揮してくれるのは、脳が整理された状態だけだ。
人は悩みを本心から受け入れることができた時に一気に楽になると言われる。
それは本当のことで、『悩むのは当然だったのだ』という発見が、悩みを受け入れてくれることになるという。
自分を受け入れることができるからだ。
どこまでいっても自分は自分でしかないし、上がって異常な緊張状態である自分を本来なら愛せるわけもないし、受け入れるわけもない。
だからもがくし、余計悪化するだけだ。
しかし、あがって当然な自分を認められた時、自分を肯定できる瞬間なんだと思う。
私はそういう体験を経て、極度の緊張症の克服がなされていくこととなった。
受け入れよう、弱さも失敗も恥もすべてを。
どうせ自分からは逃れられないし、どこまでも受け入れて生きるしかないのだと思います。
socialanxietydisorder.hatenablog.com
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岩波英知先生のあがり症克服プログラム体験談 私の症状が消えた
岩波英知先生の「あがり症・話し方弱点克服プログラム、及び会話の格闘術」体験記
圧倒的な脳内訴求能力(脳覚醒技術)を持ち、各方面から支持者が多い心理脳内コンサルタントの岩波英知先生がやっているプログラム。
そこで私は極度の緊張症を克服できた。
話し方の技術を知恵ではなく、本物のそれとして身につけることができた。
非常に効果的で、信じがたい無意識体験と価値を得ることができた。
岩波英知先生は高い能力と聞いてはいたが、実際はもっと上だったから信じがたいことだった。
岩波先生という人間自体、人生で一番尊敬できる人だ。
先生のようになれたら、と何度願ったことだろう。
高潔な人間と言うよりも、『俺は独自の道を行ってやる』という人だ。それで独自の誰もマネできない域に達しているからだ。
予約についてはかなりの混雑だったが、無理に入れてもらえたが、先生の配慮がとてもありがたかった。
私が印象に思ったことは先生自身もあがるという。本来あがるタイプだという話を聞いた時だ。
だが、あがる要素を引っ張らないし、くよくよしない。一度経験したらもうあがらないし、自分を出せる。あがったから何?という考えができる人だから、実質的にあがらない。
悩みようがない人は、悩んでも、それをいつまでも引っ張らない人だとも語っていた。
だから結果的にあがらないし悩まないという。
それだから、いい経験値しか拾わないし、自然体で世の中を渡っていける。
プラス思考にもなる。予期不安に襲われ続ける人生とあまりに正反対だ。
「どうしよう」という不安は入らないし、先生は毎日が楽しいと言っていた。
私と正反対の人生と生き様だったが、何も強い人は最初から強いわけではない。強くなった人なのだ。
だから私でもできると思ったし、できるようにもなった(岩波先生の域まではまだまだ乗り越えるべき壁があるが、もはやマイナス分野での壁はなくなった)。
体験した人が書いているように、「この人だけは違う」「信用できる」というものだった。
岩波先生の技術を求め海外からも来ていることに驚く
岩波英知先生の心理プログラムは海外でも知られているみたいで、アメリカやオーストラリアなどから通ってくる人もいたのには驚いた。
当たり前のように大阪や東京に、北海道・沖縄・九州・北陸などから人が通ってきたのだ。
私が受けたあがり症のプログラムには経営者も多く来ていて、立場が上になればなるほど、あがり症の弱点に直面してしまうことだと思う。あがり症という弱点があっては、経営者、トップに立つものとしての威厳が損なわれるから、誰だって深刻な問題なのだ。
それにそんな自分に腹が立つやら情けないやら。だから割合早いうちに症状にけりをつけられてよかった。
あがり症・社会不安障害を抱えていた頃、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えて生きてきたようなものだった。
心が全く安まらなかった。いわゆる予期不安によって、毎日が憂鬱だった。
あがり症は、他者からの評価が前提だからこそ、あがる。
猫の前では上る必要がないし、あがることは実際にない。
うまくやろう、失敗だけはしたくない気持ちがさらに強化し、反射神経で、その場面になったらあがってしまう。
それは呼吸をして落ち着いてからだとか、カボチャや豚だと思えというレベルを超えている。
誰だってあがる、これは知っている。
だけどかつての私のように、あそこまではあがらない。
あがらないように頑張れば、更にあがる悪循環が私だ。
不安が不安を呼ぶ底なし沼。
必死で頑張っても、あがりをアシストしているようなものだった。
もはや自分の手の届かないところに、あがりの原因がある。
あがり症解決のヒント
そこで根本から治す先生の理論や技法に興味を持ったことが最初の入り口だった。
脳への暗示浸透や、誤解されたものごとへのとらえ方、過去の失敗へのこだわりの解消、呼吸の練習、岩波先生からの的確なあがり症対策のアドバイス、ルーツ分析を利用して、社会不安障害の自分をある意味「受け入れる作業」を進めていった。
社会不安障害でもあがり症でも、なにか一つだけをやればいいというわけじゃない。
総合的に進めていって、効果が出てくる。
あがってもいい覚悟の気持ちが生まれ、恥をかいてもいいんだという決意も出てきた。
「よし!あがってやろうじゃないか、恥をかいてやろう」という積極的な気持ちも出てきた。
そういうときは不思議なことにあがらないし、あがりが少ない。
そこにあがり症解決のヒントがあった。
もう一つのあがり症への心構えは、常に自分を能動的に言動を行うように心がけること。
受動的になるから、人からの評価を気にしすぎて自滅する。
能動的にどんどんやっちゃえば、あがる思考回路がどんどん減っていく。
自分の心構えや暗示を入れ込むことで、私は能動的になっていった。
なるほど、あがり症にとらわれる思考になりにくい。
自分の人生を振り返ってみた。なぜ今まであんなにうまくやろうとしてきたのだろう?
それが失敗の連続だったはずだ。ただ思うのではなく、感情レベルでそうだ! そのとおりだ! という気持ちがわき起こってきた。
失敗してやろうという失うものがないモチベーションまでおかげで生まれきた。
プラス暗示浸透の力か、失敗することが楽しみだとまで思うようになってきた。
それこそがあがり症の度合いがどんどん減っていく薬だった。
どんな精神安定剤も、絶対その感情と決意にはかなわない。
プラス暗示浸透だけが根本から治す薬はそれだったのだ!
すごく嬉しかった。
俺でもできるんだと感激した。
あがり症を克服できるのは最終的には己なのだ。克己心こそ必要!
前よりあがらない自分に気づく。
同時にあがっても別にいいんだと思っている自分にも気づく。でもそこで意識してはダメだ。
そんなことでホッとしていたらダメだ。
しかし、その時の自分への頼もしさは、長らく感じたことがないほど嬉しい気持ちだった。
うまくやらないようにすることが逆にうまくいくことに、(ここが大事!)肌で実感できた。
いくら考えたって身に付かない実感だ。
知識? 理論? 知恵の対策? 糞くらえだと本当に思った。
次第に自分の感情をコントロールできてきた。
(無意識にいってしまったものが、意識のコントロールできるところまで上がってきたのかもしれない。
もしくは、無意識に岩波先生のおかげもあり手が届くようになったのかもしれない)。
さすがに今まであがってきた場面直前になると、緊張した。
失敗しないだろうか? いや失敗していいんだ! 考えるより行動!に切り替わってきた。
最初は訓練もなかなか大変だったが、終わってみたら実際大したことがなかった。
ほとんど上がらない自分がいた。しかも、冷静な自分を発見できた。
自分の内面へのチェックはいけないことだと気づき、あんまり考えないで事を進めることができた。
すごい自信になった。
思わず嬉しくて先生に電話をかけた。最大限のお礼を告げた。先生も喜んでくれていた。
晴れ晴れとした気持ちで、自分の中でエネルギーがわき起こっているものを実感できた。
そのあとは、それこそ離れと場数による自信の経験を積み重ねることだけだった。
歩みを止めずに、考えずに、自分自身を乗り越えていった。
あれからいろいろと楽しい気持ち、感激することがあったけれど、思わず岩波英知先生に電話をかけた時のパッションに勝るものはないんじゃないかと思います。
岩波英知先生のこと
岩波英知先生についても書いておきたい。
ある意味完成されている人で、少しでも先生の要素が自分にあればと思う人だ。
悩まない人間なのだ。弱々しい印象は皆無で、悩みを抱えて出口が見えない人とは真逆に位置している。
はっきり自分の意見を通せて、地のまま自然体に接してくれる。
思いやる心をもっているけれど、やる気をかき立ててくれる厳しい言葉もかけてくれる。
では、悩みと無縁で生きていた人が心理療法をやっているのかというと違うのだ。
岩波先生も期するところがあって、ある時期乗り越えることができたらしい。
だからこそ、悩んでいる人の気持ちがわかる上、悩まない生き方、考え方、精神力を持ち合わせているから、最高の存在だった。
先生の内面的資質の高さ、独特のキャラもそうだが、もう一つ技術的な凄さもある。
いかに暗示を脳の奥深くに浸透させるか、同時に心の抑圧を解消していくかの技術が非常に高かった。
それまで自分の心を変えようといろいろと経験してきた私でも新鮮な驚きの連続だった。
こんな方法があったのか! できるのか! という驚きとうれしさは今でも忘れない。
カウンセリング能力も高いから、真剣に自分と症状に向き合って、惰性の生き方、考え方を変えていけば、必ず誰でも変われる。
それを身に染みて思い知った。
岩波先生の語る言葉がどれだけ、私の心に火をつけてくれて、また心が楽にしてくれたか筆舌にしがたい。
最後に一言。
いくら非常に高い能力や資質を持つ先生とはいえ、あなたの自主性と努力がなければ意味がないということも言っておきます。
二つの要素が組み合わさったとき、すごい結果が生み出せます。
岩波先生がもっとも極度の緊張状態を根本から解決してくれる存在なのだから、このチャンスを怠けてのがしてはいけないと思う。
人生全部を失うことになるのだから、一生懸命呼吸法などの訓練をやり遂げてほしい。
長文になってしまいました。
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なぜ私が極度の緊張症、あがり症、社会不安障害を克服できたのか? 完全克服までの道のり3
「禅寺」「瞑想」
自己を見つめ直して、己を深く知る。
心の落ち着きを取り戻し、一種の小さな「悟り」を積み上げていく。落ち着くことは落ち着いた。
自分というものを見つめ直す良い機会になった。
だが、それもその場面と状況の中であって、あがり症が発症するどうしようもない場所と状況に戻ったら、どうなるのか怖かった。
自己分析をできたことはとてもよかった。
私はなぜ今の状況なのか、どこから来てどこへ行くのか哲学的なことにのめり込んだ。
しかし時間がかかりすぎると感じたし、あがり症は瞑想だけで治るほど甘くはなかった。
どちらにしても、己を知ることはあがり症克服に大切なこと。その入り口としてとても貴重な経験を積んだ。
「心理カウンセリング」
心理カウンセラーに悩みを打ち明けて、気が楽になった。だが、マンネリ化してしまい、刺激がなくなった。
このまま通い続けていいものだろうか? 場所を変えて別にカウンセラーのところに通ったが、そりが合わなくて、ぴんと来なかった。
結局4件カウンセリングルームに行ったが、最初のカウンセラーが一番よかった。
いまさら、戻ることもできず、相性というものの大切さを学んだ。
あがり症の気持ちがよく解るカウンセラーに相談した方が良いのか、あがり症とは全く無縁の人に相談したらいいのか、どっちなのだろうか?
「催眠療法」
あがり症を催眠状態で、暗示をかけて治すといううことに心惹かれて、通ってみた。
しかし実態は、以前通ったあがり専門の話し方教室と同じで、自律訓練法という役に立たないものを催眠と称していただけだった。
催眠状態については、リラックス感が体を包むまで行った。
心が落ち着いたが、一時間の中での出来事だった。
本物の能力を持つ催眠療法士の先生には出会えなかったが、世の中のレベルはこういうものなんだとわかっただけでもよしとしよう。
これは負け惜しみかもしれない
「病院、クリニック:精神科、心療内科」
あがり症と抑える薬(デパスなど)を服用したが、副作用に苦しみやめる。
のんだら、仕事に支障を来すため、それだけは避けたかった。
眠くならない薬を要求しても、のんでいる意味がなくなり、あがり症が治ることがないと気がついてやめた。
薬を飲み続けることは怖いとも感じた。自然ではないのだ。
一年間あがり症を抑えて何とかなったとしても10年後も薬を飲み続けているのだろうか?
希望が感じられなかった。
10年あがり症をしのいだとしても、それがハッピーといえるのだろうか?
15年後、あがる場面から逃げているのだろうか? それを考えると絶望感に支配された。
「自己啓発の本・話し方が上手になる本」
どれだけ書物を買い込んで読みあさっただろうか。
読んでいるときは、なかなかいいことが書いてある、買ってよかったと思いながら、読み進めていた。
しかし、いつまでも上達しなかった。
私が知識としてため込んだテクニックが、本番では頭から出てこない。
出てきても、実際にそれをすることができなかった。
心がやられてしまうため、知識以前の問題だった。
それでもたくさん本を読んだ。
慰めと、もしかしたらという期待だったし、ただ本を読む行為が楽で手っ取り早かったからだ。
今思えば、そういう本を読んでどうにかしようという行為自体、逃避行動だった。
何らリスクがなく取り組める対策だったからだ。
人間は感情がやられてしまうと、知恵が役立たなくなる。
あがり症は感情が真っ白、恐慌状態になってしまうということだから、鍛える順番が間違っている。
本を読んで解決しましたという人は聞いたことがない。それでも読んでしまうだろう。
読まないより読んだ方がいいからだ。
感情を克服できたときには、そういった本に書かれてあるノウハウが使えるようにもなる。
しかし、一番の問題は、その本の知識を縦横に使える日が私に来るのだろうか?
一人の世界でならいい。
しかし対人間という舞台で本の知識を発揮しようとすると、社会不安障害が必ず邪魔をする…。
(続く)
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なぜ私が極度の緊張症、あがり症、社会不安障害を克服できたのか? 完全克服までの道のり2
「自己啓発セミナー」
弱い精神の私が許せなかったため、本を読みあさった延長で参加してみた。
心が弱い人間(その評価に私は納得がいかなかった)を強くするセミナーに参加したが、無理矢理精神的に追い込んで、甘さを捨てさせる方法だった。
たしかに自分に厳しく、時には理性の壁を破るぐらいパワーが人間には大事なのかもしれない。
泣き崩れる人や猛烈に怒り狂う人がいたし、私もその追い込むやり方にすごく反発を覚えて、一瞬モチベーションがあがった。
しかし長続きしなかった。
無理矢理気合いを注入されたがため、反動がひどく憂鬱感が強く襲ってきてしまった。
これは無理矢理自分で炎を立てようとして、酸欠に陥った感じだった。
根性と気合いだけで、あがり症を打ち消そうとしたために、余計あがり症がまだまだおさまらない自分にも落胆した。気合いだけの突破で壁は私には敗れなかった。
一つだけ言いたい。時には自分を限界まで追い込むことも人生では必要だと思う。
普通に生活していたのでは、そういう経験はないからだ。
自分の可能性、反動のパワーが自分の中に眠っていることに気づかせてくれたし、受けて無駄ではなかった。
直球勝負を好む人にはお勧めかもしれないが、精神的に追いつめる自己啓発セミナーも多いので、必ずしも評判は好悪に割れてしまうだろう
「自己改造セミナー」
ほぼ自己啓発セミナーと同じ。
表面的に改造をしても、私の心の無意識に救ってしまったあがり症・緊張・パニックを改造できなかった。
気合いは確かに必要だし、絶対必要なものだと思う。
ストレート勝負で、直線番長なやり方だから、ときには繊細な感情を潰してしまうかもしれない。
人によって合う、合わないが分かれるだろう
逆にもっと精神的におかしくなる人もいるから危険だという人は多い
(続く)
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なぜ私が極度の緊張症、あがり症、社会不安障害を克服できたのか? 完全克服までの道のり1
私が体験したあがり症対策&社会不安障害治療について
誰もが自分の内面的弱点を克服するために、さまざまなことにチャレンジしてきたと思う。私の場合を書けば、
「話し方教室」「自己啓発セミナー」「自己改造セミナー」「催眠療法」「病院精神科」「カウンセリング・ルーム」「禅寺」「瞑想」「あがり症と話し方の関連本」「あがり症・話し方弱点克服プログラム」
と多岐にわたっている。その体験記。
精神科の医者からは、「社会不安障害SAD」だと診断された。
カウンセリングではただ「あがり症」「緊張症」とか、催眠療法士からは対人恐怖症、別のカウンセラーでは適応障害、自律神経失調症と言われる。
名称は多岐に渡っていても、結局どれも正解だった。
ただ私を治療する人の好みで、名称が変わってくるだけだった。
問題はその中身で、精神的に非常にきつい症状だということにはかわりはない。
「話し方教室」
いかにうまくきれいに話すか、話す技術、あがらないための方法論、あがり症の人たちの間での発表会、声出しの義務化、大きな声でどなる練習、自律訓練法、自分にあがらないように言い聞かせる、といったメニューをこなした。
どれも表面的に私の心をさするだけで、何に根本的な解決にならなかった。
話し方教室は、普通の話し方レベルの人が、よりうまく話すためには、いいきっかけとなるかも知れない。そういう訓練の場としてはとても「あり」だと思う。
弁舌の立つ先生がいたし、なるほどと思うこともたくさんあった。
ただ、あがり症克服の場として利用しようとすると、その人のあがりのレベルによるが根本的な効果の問題がある。
話し方教室にいくら会議や会話が苦手な人が通っても、頭が真っ白になったり、どきどき緊張しすぎてしまうから、会話のやり方を練習してもあまり効果が出ないことがよくわかった。
その場ではうまく発表ができたとしても、本番の場では前述のようになるし、マイナスの失敗経験ばかりあるから、自分にはできないと思ってしまう。
こちらの問題なのだが、その問題の根っこが深いため、話し方教室でのあがり症克服は失敗に終わった。
無意識のレベルでそれが起こっているから、会話の練習をしても意味がなかった。自分の弱点を壊すことまではできなかった。
本番でちゃんとあがらずに話ができない前提を自分が持っていないとせっかくの会話の技術も無駄になってしまう。
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なぜ私は極度の緊張症に陥らねばならなかったのか 私の性格分析 本格的「あがり症」になるまでの内面的状況
劣等感と本番の弱さと努力
コンプレックスを感じる人生。みんなコンプレックスはあるだろうが、私の場合は人から見ればちっぽけなことでも劣等感を感じやすいから、誰よりも多いと思ってしまっていた。学生時代からあがり症で苦しめられた。演技と知恵をフル活用して、あがり症を悟られないことばかりに神経をすり減らしていた。
本番で力を出せないタイプ。あがり症がなければもっと今よりいろんなことができただろう。行動も制限されなかっただろう。だがそれでも社会的地位と学歴だけは取り繕っていた(といっても、本当の自分の能力からしたら、もっと上に行けるはずと悔しい思いをしていた)。
劣等感をバネにして頑張ることができたため、人よりも努力はできた方だった。それがうまい具合にいっていた。国語や英語の時の発表では、早口で一気に終わらしてしまおうとした。ただし幸い緊張状態のぎりぎりのところでなんとかおさめることができた。とても息継ぎが難しかったが。
周りも緊張しているとは感じられても、あがり症でどうしようもない男というレッテルは貼られていなかった(と思う)。学生時代ははっきりと意識していなかったが、無意識では「このままではやばいな」と感じて生きてきた。
このままでは生きづらい
改まった場所、状況が非常に苦手だったが、ぼろを出さずに何とかやっていけた。が、「生きづらいな、俺は」とよく思っていた。はっきり認識していたわけではないけれど、心に重荷があったと思う。
もともと頑張り屋だと自分でも思うし、そんなレッテルを貼られてきた。だが、人よりも、一つのことをくよくよしてしまうほうに頑張ってしまうこともあった。悩みを引きずるタイプで、それが苦痛でしょうがないから、悩みに直面しないようにと知恵を使って生きてきた。知恵を使うと、感情がどんどん死んでいってしまうというけれど、私が感情のパワーがどんどんすり減ってきたように思う。
いい方向に頑張れば(たとえ本番であがり症のため力を発揮できなくても)、そこそこいい線は行っていたために、外面だけはよかった。これは幸いだったと言うべきか、問題解決を先延ばしにしただけに終わったのかわからない。
いずれにしても、「あがり症・話し方弱点克服プログラム(HP)」に出会っていなかったら、私の人生は失速ぎりぎりのまま終わっていたことは間違いないと思う。
苦手なシチュエーション
人付き合いは、友達と話すのなら全く問題ないが、人前で話す、改まった場所で話す、見知らぬ人と話す、プレゼンテーションをする、スピーチをする、会議で発言する、クラスの発表は苦手だった。
避けようと避けようとしてきたけれど、人がいて、自分の社会人の責任ある一員なら避けられるわけではない。だから、いつかあがり症がばれてしまい大恥をかく時を想像すると、憂鬱になってしまった。学生時代より社会人になってからのほうが、責任が増えるだけきつかったし、どんどんあがり症のグレードが大きくなっていた。やばいやばいと感じながらもなんとか生きてきた。
そんなあがり症という弱点で力を発揮できないなと感じていたために、力を発揮できる立場を作るかに苦心した。それは実にうまくいった。
極度の緊張状態を悟られないために
私は自分で表面的なりに分析してみた。私は人の部下になると自分のペースがつかめない。人に命令されたり、矯正されたりすると、自分の能力が発揮できないし、無理矢理あがり症がばれて大恥をはかいてしまう状況に追いやられるかも知れない。
それに、上司が私の弱点をついて、あがり症を発症させようとする状況に追いやるんではないかと邪推した(損なことばかりを考えてきた)。そのためにどうしたらいいか、必死にシミュレーションをした。
人に気を遣ったりして、いち早くいい立場になるんだ。早く自由に動けるように、上に行く、それしかないと頑張った。それができれば、発表やスピーチやプレゼンテーションは部下に任せることができるという情けない目的からだったが・・・・・。
あがり症を悟られないようにとか、大失敗を避けるためだけに上に行こうとしていた自分が情けないとも思ったが、感じること自体苦痛だから無視した。自分というよりあがり症にこんなにも振り回され続けることが悔しいが、俺は出世してやるという風に目的を置き換えた。ある程度はうまくいったと思う。
無意識では不純な動機だったが、周りの評価はあがり症がばれないかぎりは、安泰だったと思うし、一定の成功を収めた。
苦手で苦痛でしかない会議
しかし会議は苦手だった。がくがくぶるぶる手や足が震えていたし、心臓も喉から飛び出るくらいばくばくしていた。毎回の会議が苦痛だったが、会社だから避けられない。半月前くらいから憂鬱で苦痛だったのは確かだ。
いつかよくなっていると気軽に考えることができた時期だったが、発表をする時間をできるだけ短くするため、資料を作ったり、パワーポイントで説明しなくてもすむくらい前もって準備していた。
それらの作業は異常に疲れた。なぜなら積極的な理由で作成していたわけじゃないから。すべて苦痛とあがり症からの回避という不純な動機なのだ。いやしさ、小細工、こずるさでやっていたから、心のどこかでは自己嫌悪を感じていただろう。
あがり症をいかに悟られないか、その場面を避けるかが、人生の最重要課題になっていった。みじめだが、そう考えないようもしていた。堤防が決壊するまでは・・・・。
異常な疲労感と無力感
いつしかやる気もすり減ってきた。私の無気力がたまっていくコップがどんどん増えていった。だから、いつコップからあふれ出すかもしれない、損な予感があって決して幸せではなかった。
どんどん疲労がたまってくる。なんでこんなに疲れるんだろうか? 体がどこかおかしいんではないか? 会社にも行きたくない気持ちも強くなった。
職場の人間関係への悪影響
つるんでいた仲間とも、私のあがり症を悟れば、バカにして離れていくし、こっちも気まずくなるから、どこか最後のところでうち解けられないものがあった。そこがまた嫌だったし、自己嫌悪に陥る要素だった。どうにも自分の心をいい具合に制御できない焦りもたまってきた。
いつしか、人付き合いも新しく作らなくした。また自分から作ろうとしなくなった。相手がつきあおうとするから、こっちも「しょうがなく」つきあうのだという形にした。それのほうが、あがり症で決定的な恥をかいた時に、相手が私から離れていったとしても、まだ心のダメージが少ないからだ。
つまり受動的、消極的な人間になってしまっていた。守りの姿勢、逃げの姿勢、避ける姿勢の自分をうすうす嫌悪感を感じながら。人に合わせて生きてきたから、周りの表面的な評価だけは落とさないようにしていた。でもどっと疲れた。
以上が私の極度の緊張症を発症させた性格の分析です。
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私が極度の緊張症&社会不安障害の時、どんな心理状態と思考をしていたか5
私の本来あるべきはずの姿をどうにか保護するために、プライドを強くしてしまったのが、更にいけなかった。現実と理想の乖離で苦しむ羽目にさらになってしまった。心の平穏を得るために、禅寺への修行ツアーに出てみたり、瞑想をする場所にも頻繁に通った。どれも結局私のあがり症を覆すまでにはいかなかった。
ただし、私の自己分析は役に立たなかったわけではなくて、のちのちプラスに作用することになった。こうあるべきであり、こうならなければならない思いが強くなっていたのに、結果が出なかった。自信はすっかり喪失してしまい、かといって、人生を投げ出すわけにもいかず・・・・
これが「あがり症」に苦しめられたときの私が内面で思っていたことだった。そればっかり考えていたといっていいし、そのままいったら永遠に考えていたかも知れない。
考えていたって、何にもいい成果を上げられなかったし、堂々巡りをしていたはずだ。感情の抑圧の堤防が決壊するように、自分を守る「壁」もいつか崩壊していただろう。たった一つの「あがり症」という弱点があるばっかりに、私はいつしか守りの姿勢に入ってしまっていた。
こんな情けないが大きい弱点を持っている人間が、こんな地位にいていいのか? 人を管理し指導する立場にいていいのか? なんという大それたことをしているのだ? お前は楽しんでいいのか? あんな悩みを抱えている人が、安心していいのか?
たしかに私は安心しようとすると、それが不安になる(心のどこかで感じてしまう)。大きなことを成し遂げていいのか、という罪の意識に似た苦しい感情もよく起こった。出世と地位の確立という目的に進んでいたとき(対人関係・上との関係にも恵まれていた)は、そんな守りの姿勢には陥ったことはなかった。「あがり症」という弱点があるからこそ、頑張ることができた。
なのに、状況が変わって、今までの生き方、やり方、地位、人間関係が通用しなくなると、急に守りと逃げと罪の姿勢に陥ってしまった。そうなると、すべてがマイナスの方向にしか考えられなくなる。そうなったら、いくら書物を読んでも、自分を啓発しようとしても無意味だった。できないと思ってしまう自分が先に来てしまうからだ。
自律神経を鍛える自律訓練法など気休めすらならなかった。逆境をはねのけることができた以前の力は消え失せた。自分をどこまでも卑しめた。低い自己評価しか与えられなかった。そしてそれがいやで、プライドを高くした。だから余計苦しんだ。その繰り返しだった。
その泥沼から抜け出すまでには何をしても駄目だった。俺の人生は破滅だと思った。
しかし心のどこかで「このままじゃ終われない、終わってたまるか」とも思っていた。ただある時期まで方法がなかった。岩波先生に出会い、「あがり症が克服できる方法」が見つかるまでが、人生最悪の時期だった。
あれ以上最悪は今後ないだろう。ないと断言していい。絶対にない。もうどん底まで落ちたのだから、これからは上がるのみ。
そうじゃなきゃ何のために苦しんだのか? 攻めの姿勢だ。俺にはそれだけなんだ。失うものはない。たくさん失ってきた。時間・喜び・充実感……今更失っても同じことだ。だから失ったものを積み重ねていこう。俺にはそれができる。自分を信じろ。やれる。
(続く)
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私が極度の緊張症&社会不安障害の時、どんな心理状態と思考をしていたか4
何度死のうと考えたことだろう。しかしプライドが許さなかった。ここで死んだら完全に負け犬であり、なんでここまで苦しんでいたのか、それらが無駄になってしまう。許せなかった。
年老いた親や妻、子供たちのことを考えると死ぬわけにもいかなかった。しかしあがり症のパニックになったときに、皆から大笑いされたり、蔑まれたり、必要以上に同情されたり、低く見られたりして、それをはっきり言葉で指摘されたのならば、それがビルの屋上だったり、ピストルが近くにあったら、即座に自殺していただろう。
私は重度のうつ病というほどではなかったので(あのままいっていたら、完全に重度のうつ病になっていたか、統合失調症になっていたかも知れない)、あがり症が頂点に達したときにしか死ななかったと思うが、いつも死にたい、生きていけないと思っていた。
仕事も手につかなくなったし、私のことを保護してくれる人ももういなかった(それまでは幸い人事に恵まれていた)。みな私を陥れたり、笑いものにする不倶戴天の敵だと思えてしょうがなくなった。
話し方教室やビジネスマンのための自己啓発セミナーにも行ったし、催眠療法にもかかりにいった。精神科に行ってあがり症を抑える抗不安薬を服用したりもしたが、どれも解決に導いてくれなかった(後述)。
自分の境遇を呪った。落ち込みが激しくなった。仕事も手につかなくなり、ミスが異常に増えてしまった。常にあがり症がばれそうになったときの対策のため、体を壊したとまわりに言いふらした。体が不調ならば、会議などあがり症が出てしまう場所で頭が真っ白になったとしても、大義名分ができるから。我ながらいい策だと思った。
あがり症になったとき、顔面蒼白もしどろもどろもすべて理由がつく。だが、そんな体をこわし続けている人間を、誰が徴用するだろうか? ああ、いっそのこと社長になれば、あがり症になる場面を独断で回避できるのに。
なんと中途半端な、それも、部下に示しをつけなくてはいけない地位まで昇ってしまったのか。いっそのこと平社員ならばよかった。ただ一つのあがり症のために、私はすべて社会的地位をも失ってしまう。プライドも保てなくし、家族も養わなければいけない重圧があった。
また後悔してしまった。独り身ならば、身動きがいくらでもとれた。給料は同世代よりもけっこういいものをもらえていたが、左遷されれば時間の問題だった。また私が左遷されることになったら、プライドが完全に崩壊してしまう恐れがあった。もう不安だらけの人間だった。こうならないように頑張ってきたのに悔しかった。人生を呪った。性質を恨んだ。
(続く)
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私が極度の緊張症&社会不安障害の時、どんな心理状態と思考をしていたか3
よく思われなくてもいいといくら自分に言い聞かせても、決して自分の無意識部分は納得してくれなかった。それどころか「あがるな」という命令が、「お前はあがり症である!」という事実を一層深めた。
私が『あがり症』という事実から逃れたい、必死で打ち消したい、見ないようにしたい。しかし『頼むから、あがらないでくれ!』と願った時点で、あがり症を自分から見てしまう。怖いものを見たくないのに、ちらっと見てしまって、よけい怖くなってしまう状況に似ている。
「どうしたらあがらなくできるのか? どうしようもないことなのか? なぜみんなあがらずに会議や発言ができるのか? 頑張ってあがり症を打ち消そうとしても、余計パニックに陥ってしまうのはなぜなのか?」
葛藤を続けていくうちに、すっかり出口が見えなくなり、ジレンマに陥った。私は「あがり症」さえ治ることができたら怖いものはなくなる。そうしたら、悩みは全くないといってよかった(と当時考えていた)。
しかし、他の人がいくら悩みと欠点を持とうとも、私のたった一つの弱点に比べたら、生きやすい。思う存分力を発揮できるだろうと思った。
「あがる」というただ一つの悩みと弱点が、人生すべてを黒く覆い隠すほど厄介なものだった。あがり症は、すべての私の行動一つ一つについて回った。
例えば、楽しいはずのセックスさえも、緊張によって、使い物にならないことが多々あった。精神的な悩みは、男のあそこの働きに直結してしまう。焦れば焦るほど、使い物にならなくなる。一番あがり症・緊張のメカニズムを現している事象だと思う(女性もそうだと思うが)。私の人生そのものが「あがり症」というもので言い表せた。
いったんあがってしまうと、その状況が不都合でいやでいやでたまらないから、打ち消そうとする。これは私だけじゃなくて、誰もが陥る罠だと思うが、プライドが高いほど、その状況が許せなくて、焦ってしまう。焦ったら、体と思考に柔軟性がなくなって、「あがる・あがらない」の世界になってしまう。
「あがっている、どうしよう」という思考から、「どうしよう、どうしよう、どうしよう×∞(無限)」のパニックに支配されて、頭が真っ白になる。もうどうしようもなくなってしまうのが私の特徴だった。いろんな人の体験談を読む限り、みなそうなのかもしれない。
あがり症の極致の状態は、言葉にならない状況だが、あえてあがり症のパニック状態の時に何を考えているかというと
「言葉を発しなくちゃいけない、沈黙はやばい、場を取り繕わねば、みんな変な目で見ているだろう、どうやってごまかそう、誰かがひそひそ話をしている、俺の悪口を言っているに違いない、笑い声だ、どうしよう、笑っている、絶対変に思われている、これが終わったらどうやってみんなと話そうか、威厳は保てるだろうか? 俺の人生は終わりだ、破滅だ、くそ、どうしよう、低く見られる、俺のことを馬鹿にするだろう、生きていけない、死にたい、死んでしまおうか、最悪だ、いまこの場から出て行ったら、よけい変に思われてしまう、だれか助けて、どうしよう、どうしよう」
0,01秒でこんなことを考えているに違いない。考えているというより、理性も何もかも吹っ飛んで、パニックになっていて、まともに考えていないかも知れない。
(続く)
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私が極度の緊張症&社会不安障害の時、どんな心理状態と思考をしていたか2
目が覚めているときはいつも、「あがり症」「会議」「プレゼンテーション」「「スピーチ」のことばかり頭に浮かんでしまって、くよくよ考えてしまう自分に嫌悪感を持った。そのくせ、私はプライドをもっており、プライドの高さと私の情けない弱点であるあがり症との絶望的乖離にも苦しめられた。
プライドの高さは厄介だった。それは時には頑張れる原動力にもなるが、私にプライドがなければ、あがり症になっていなかったかも知れない。「人によく見られてよう、すごいと思われたい、失敗だけはしたくない」こんな考えは絶対に自力で消すことができなかった。
俺は俺だ、誰になんと思われても関係ないなんていう覚悟ができている御仁がいるが、ものすごくうらやましく思った。俺にはできない。私はみなから一目置かれたいと思っているくせに、目立ちたくない心もあった。自分でも生きにくい性格だと常々思ってきた。
ただ努力というか潔癖なのか、完全主義者なのかわからないが、けっこう極端な性格だったと思う。だらけている奴や、頑張れない奴が大嫌いだった。だからずっとよく思われよう、自分で納得した道を歩もうと決意し、その部分では頑張れる人間だった。
そこに全精力を注入できたのに、あがり症がばれそうになる予感にさいなまれてしまったら、そればかりに全神経をつぎ込んでしまう。損な性格をしているとつくづく思ったが、でもプライドの高さからか、そういう性格じゃないと社会でやっていけないという誇りもあった(だからふやけた奴に嫌悪感をますます持ってしまう)。
会社でもいい環境と人間関係に恵まれて、かなりの上の方まで進むことができた。あがり症だとわからせないで、よくここまでできたものだとプライドが満足した。
それで私の下につく奴に対して、少しでも自分の理想にそぐわないと(つまり頑張る能力が少ないと)、見下す癖があった。なんでここまで自分の中で傲慢になれるのだろう? と自問自答したが、良くなった『あがり症・話し方弱点克服プログラム』をやっていくうちに、自分のあがり症という弱点があるから、人への攻撃性が出てしまうことに気がついた。
そうやって相手を見下すことで、プライドを肥大化させて(それはガンにしかならないのだ)、弱点から目を背け、自分を守ろうとしていたことに気がついた。ちょうどあるホームページでも、自分を分析している同タイプの人がいたが、「なるほど!」と思うくらい、私に似ていた。あがり症という弱点を抱える自分に満足できないから、プライドだけを上げて、私自身の自己崩壊を防ごうとしていたのだった。
それは癌にしかならない。プライドの高さは、その人の内面の自信と実績と比例していなければいけない。しかし、外面ばかりよくしようと学歴や社会的地位は手に入れることができたが、内面の自信はこれっぽっちもなかった。
しかも、あがり症がいつかばれてしまうだろうという恐怖感と不安の中、社会的地位と会社の中での立場さえ崩れ去る予感があった。内面と外面の両方とも失ったら、私はもう生きていけないと感じた。怖くて怖くてたまらなかった。
(続く)
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私が極度の緊張症&社会不安障害の時、どんな心理状態と思考をしていたか1
私のあがり症&社会不安障害時の内面を思いつくまま感じるままに書き連ねてみよう
人にあがり症だと思われたり、感じ取られたり、それを指摘されたり、笑われたりされないように、モーレツに頑張った(つもり)。 それをやり遂げたかに思われたが、いつまでたってもあがり症については治る気配はなかった。
私があがりそうな気配のあることは、立場上、幸いにも人に任せることができたため、助かった部分があった。
しかし、外面は偉そうに「上」の人間として振る舞っていたが、自分だけある秘密を知っていた。
それは「びくびくしてすぐあがって、しどろもどろになり、人から嫌われたり、笑われたりすることを極端に恐れる存在」だということだった。
その驚愕の真実を他人に悟られないように慎重に、ある部分では気張って生きてきた。
ある時期まではうまくいってたが、立場・地位に異動があると、もろくも崩れ去ってしまった。そうなると、「あがり症」が人に知られ、笑われたり軽蔑されたりする場面に直面することを恐れるように。それまで強く振る舞ってきただけに、もしあがり症で大失敗して大恥をかいた時のことを想像すると怖くてたまらなかった。だからあがりそうな場面が来ると冷や汗が出て、夜も眠れなかった。
「どうしようどうしよう、どうやって避けようか、うまくばれない方法があるだろうか? 風邪で休むか? しかしそんなことばかりやっていたらいつか限界が来るに決まっている。逃げられっこない。明日しのげても、いつかぼろが出る。もう影ではあがり症だとひそひそ噂し合っているんじゃないか? 偉そうにしているくせに、ノミの心臓をしている男として知れ渡っているんじゃないか? そうなると俺は威張っていていいのだろうか? 今度ばかりはうまくやらなければいけない。本当に強くなって見返してやらなければ駄目だ。しかし……」
それを考えると、心が安まらなくなった。動悸が激しくなり、目の前が暗くなった。積み上げてきた地位を守るためにそれまで頑張ってきた努力が、私のたった一つの、それもあがりの大弱点のためにすべてが崩れてしまう。
そんな日がずっと続き自律神経が狂いだし、だるくなっていった。すべてに張り合いがなく、つまらなく感じた。考えれば考えるほど、軽度のあがり症が重症化してしまった。イライラと憂鬱を交互に繰り返し、どちらも苦しくてたまらなかった。
(続く)
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極度の緊張症、あがり症、社会不安障害を岩波英知先生の元で克服した方々の体験談、ブログの紹介
私は岩波英知先生のあがり症克服プログラムの卒業生ですが、私に似た極度の緊張症の方々もブログに体験談を綴っています。
以下のブログや体験談も参考にしてみて下さい。
本当に多くの人が克服していっています。
ここまで大きな成果と効果を与えているのは岩波先生しかいないと思います。
社会不安障害を中学生の頃に患い、地獄のような苦しみに耐えた後に岩波先生に出会い克服に至りました。
岩波先生から教わった教えをご自身の体験から咀嚼して、サイトに掲載しています。非常に多くの教訓が学べます
脳外科医から見た脳内のトラブルについてのブログ。極度の緊張状態から手が震えるようになり、うつ病に悪化していった医師の赤裸々な体験談
学生時代に脇見恐怖症、社会不安障害になってしまった苦しみの心情を情感込めて書いています。
社会不安障害やあがり症や対人恐怖症を克服した人達が集まって管理している総合サイト。あがり症克服プログラムなど岩波先生のセッションを受けようと思っている人は必見です。極度の緊張症の人の心理状態もあますところなく書いています。
赤面症と戦った女性の体験談。彼女も先生と出会っていなかったら未来はなかったといっています。
イジメを経験し極度の緊張状態を人に対して持ってしまった管理人さんのブログです。
交渉術や営業力についてのブログです。緊張しいだった筆者がトップ営業マンになるまでの体験談です。
外科手術で手が震え、書痙にも苦しめられたお医者さんの体験談。悩んでいる人の心理状態を見事に描いています。とてもためになるブログです。
私と同じ立場であがり症に苦しめられ、あがり症の状態をあがる(克服)する体験記を書いているブログです。
今度は貴方が極度の緊張症から脱して、その体験談をフィードバックして下さい。
特に岩波英知先生のトランス後の余韻で気づく『緊張症になるまでのルーツ整理』を経た人は、客観的に冷静に自分の過去の流れを描写できると思います。
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