なぜ私が極度の緊張症、あがり症、社会不安障害を克服できたのか? 完全克服までの道のり3
「禅寺」「瞑想」
自己を見つめ直して、己を深く知る。
心の落ち着きを取り戻し、一種の小さな「悟り」を積み上げていく。落ち着くことは落ち着いた。
自分というものを見つめ直す良い機会になった。
だが、それもその場面と状況の中であって、あがり症が発症するどうしようもない場所と状況に戻ったら、どうなるのか怖かった。
自己分析をできたことはとてもよかった。
私はなぜ今の状況なのか、どこから来てどこへ行くのか哲学的なことにのめり込んだ。
しかし時間がかかりすぎると感じたし、あがり症は瞑想だけで治るほど甘くはなかった。
どちらにしても、己を知ることはあがり症克服に大切なこと。その入り口としてとても貴重な経験を積んだ。
「心理カウンセリング」
心理カウンセラーに悩みを打ち明けて、気が楽になった。だが、マンネリ化してしまい、刺激がなくなった。
このまま通い続けていいものだろうか? 場所を変えて別にカウンセラーのところに通ったが、そりが合わなくて、ぴんと来なかった。
結局4件カウンセリングルームに行ったが、最初のカウンセラーが一番よかった。
いまさら、戻ることもできず、相性というものの大切さを学んだ。
あがり症の気持ちがよく解るカウンセラーに相談した方が良いのか、あがり症とは全く無縁の人に相談したらいいのか、どっちなのだろうか?
「催眠療法」
あがり症を催眠状態で、暗示をかけて治すといううことに心惹かれて、通ってみた。
しかし実態は、以前通ったあがり専門の話し方教室と同じで、自律訓練法という役に立たないものを催眠と称していただけだった。
催眠状態については、リラックス感が体を包むまで行った。
心が落ち着いたが、一時間の中での出来事だった。
本物の能力を持つ催眠療法士の先生には出会えなかったが、世の中のレベルはこういうものなんだとわかっただけでもよしとしよう。
これは負け惜しみかもしれない
「病院、クリニック:精神科、心療内科」
あがり症と抑える薬(デパスなど)を服用したが、副作用に苦しみやめる。
のんだら、仕事に支障を来すため、それだけは避けたかった。
眠くならない薬を要求しても、のんでいる意味がなくなり、あがり症が治ることがないと気がついてやめた。
薬を飲み続けることは怖いとも感じた。自然ではないのだ。
一年間あがり症を抑えて何とかなったとしても10年後も薬を飲み続けているのだろうか?
希望が感じられなかった。
10年あがり症をしのいだとしても、それがハッピーといえるのだろうか?
15年後、あがる場面から逃げているのだろうか? それを考えると絶望感に支配された。
「自己啓発の本・話し方が上手になる本」
どれだけ書物を買い込んで読みあさっただろうか。
読んでいるときは、なかなかいいことが書いてある、買ってよかったと思いながら、読み進めていた。
しかし、いつまでも上達しなかった。
私が知識としてため込んだテクニックが、本番では頭から出てこない。
出てきても、実際にそれをすることができなかった。
心がやられてしまうため、知識以前の問題だった。
それでもたくさん本を読んだ。
慰めと、もしかしたらという期待だったし、ただ本を読む行為が楽で手っ取り早かったからだ。
今思えば、そういう本を読んでどうにかしようという行為自体、逃避行動だった。
何らリスクがなく取り組める対策だったからだ。
人間は感情がやられてしまうと、知恵が役立たなくなる。
あがり症は感情が真っ白、恐慌状態になってしまうということだから、鍛える順番が間違っている。
本を読んで解決しましたという人は聞いたことがない。それでも読んでしまうだろう。
読まないより読んだ方がいいからだ。
感情を克服できたときには、そういった本に書かれてあるノウハウが使えるようにもなる。
しかし、一番の問題は、その本の知識を縦横に使える日が私に来るのだろうか?
一人の世界でならいい。
しかし対人間という舞台で本の知識を発揮しようとすると、社会不安障害が必ず邪魔をする…。
(続く)
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